市政の動き−議会報告

【17.08.28】「満州」で何が起こったのかースターリン秘史

ソ連の略奪等 3つの異常な大参事

 日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長の「スターリン秘史」(全6巻)を読み、「満州で何が起こったのか」が強く印象に残りましたので、その内容の一部を紹介します。 (宮川金彦)
 1945年8月8日、ソ連軍が攻め込んだ「満州」(中国東北部)では、何が起こったのでしょうか。ここでは3つの異常な大参事が、日本の軍隊と居住の日本人を襲いました。
 第1の惨害は、ソ連軍が各地で起こした略奪・強姦・殺戮の惨劇でした。
 第2の惨害は、関東軍の数十万の将兵がポツダム宣言を無視して、シベリアに抑留され、長期間にわたって強制労働で使役されたことです。
 第3の惨害は、当時、満州にいた百数十万の一般日本人が満州に遺棄されたこと、です。

シベリア抑留 ソ連と日本の戦争指導部の合作

 関東軍の将兵の処遇について、モスクワから内容の異なる2つの指令が出されました。
 第1の指令(8月16日)はポツダム宣言(「日本国軍隊は各自の家庭に復帰」)を無視できないので「軍事捕虜をソ連邦領土に運ぶことはしない」としていました。
 ところが、関東軍がソ連極東軍に、武装解除後の軍人を「ソ連の庇護下に満州、朝鮮に土着して生活させてくれ」と要望しました。
 これにより、スターリンは8月24日、約50万の捕虜をシベリアに移送せよ、という指令を出しました。
 シベリア抑留の元凶はスターリンですが、大本営と関東軍が最初から進んでこれに協力しました。「シベリア抑留はソ連と日本の戦争指導部が犢膾遶瓩念き起こした悲劇であったことも、疑問の余地のない歴史的事実です」

一般日本人は帰国させない 関東軍はいち早く撤退

 満州は、日本が1931年の「満州事変」という一方的な侵略戦争で中国から強奪し、敗戦まで占領し続けた地方でした。
 日本の軍と政府は、国策として多くの日本人を満州に送りだしながら、戦争終結にあたって、牋貳牝本人は日本に帰国させない。満州に土着しそのまま生活しろ瓩基本方針でした。
 満州から1946年に帰国した女性は、「ソ連侵攻後のあの1年間に在満日本人24万5千人が死にました。それでも足りなくて『生き残った在満邦人は満州朝鮮に土着して暮らしなさい、日本には帰ってくるな』と言っている大本営の報告書は腹に据えかねる」と怒っています。
 関東軍総司令部は、ソ連軍の侵攻が開始された2日後、戦況不利として撤退を決定、特別列車をしたてて脱出。一般日本人には「軍事機密」とされ、一切知らされませんでした。

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